白鵬85-3

鳥取県は和牛王国として有名です。鳥取県和牛生産者連絡協議会会長で獣医師の木嶋泰洋先生を訪問し、鳥取県がいかにして和牛王国になったのかをお聞きしました。

ふるさとに帰り獣医になった

木嶋先生(66歳)は伯耆町生まれ。畑を持っていない農家の分家に生まれました。親父は畜産農協に勤め、小さな畑を借りて牛を何頭か飼っていました。牛を飼っていないと指導ができないというのが理由でした。繁殖(子とり)、肥育、育成販売をしていました。鳥取県日野郡で種雄が求められ、種牛を育成し、農家指導をしていました。

木嶋先生は米子東高校を卒業し、畜産を学ぶために鹿児島大学に入学しました。当時鹿児島県は和牛産地として有名。鹿児島県で畜産を学ぼうと考えたのです。しかし学生時代はボーっとしていたな(笑)。

大学を卒業してから鹿児島県酪農組合に就職し鍛えられました。大学の恩師は親父のことを知っており、卒業後も可愛がってくれました。この組合には4年間勤めましたが、4年目には、組合に勤務しながら大学の恩師の研究生となり、勉強しました。そして昭和57年、28歳のときに故郷、鳥取県に帰り、獣医を開業しました。牛は儲からないとの話が農家に浸透し、後継者を作ってきませんでした。鳥取県の畜産業は高齢化し、後継者も少なく、衰退していますが、決して儲からないことはないですよ。人材育成を今こそ進めないといけません。来たれ、畜産業へ。来たれ、鳥取県へ。

5年に一度開催される共進会

全国和牛能力共進会は、全国和牛登録協会が主催する品評会です。5年に一度、全国を巡回して開催する和牛のオリンピックと言われています。育成牛4頭(牛の体形・姿等)と肥育3頭(肉質、色等)をセットにして品評会に臨み、その優劣を評価しています。この品評会での評価、受賞が、産地の今後5年間の隆興を決めます。肉販売価格にも大きく影響するため、各産地は真剣に和牛の育成に取り組んでいます。品評会に出す牛は生まれた時に決まります。持って生まれた体形や背筋はそのまま大きくなります。この血統とこの血統を組合わせるとこうなるとねらいを定め交配します。そして各県が持っている高い育成技術により品評会に出せる牛を肥育し競うのです。

低迷が続いた鳥取県

もともと中国6県は和牛の先進地です。このため、第1回の共進会1966年(昭和41年)は岡山県で開催されました。鳥取県は第1回大会、第2回大会と優秀な成績を収めました。しかし、3回以降、鳥取県は低迷が続きました。当時の平井副知事が尽力され、第9回大会は、2007年(平成19年)に鳥取県で開催されることになりました。しかし、開催県である鳥取県から入賞を出すことができませんでした。大会最終日に平井知事は「ご苦労さんでした」と我々の労をねぎらいましたが、「何だこの成績は」と顔に書いてありました。開催県にはひとつは入賞があるものですが、それがなかったです。惨敗でした。我々は、もっと奮起せねばと、その時皆が思ったのでした。平井知事は畜産に力を入れてくれています。畜産振興の旗印とする和牛条例を作っていただきました。共進会へ出場する前には知事主催の激励会を開催していただき、知事は夫婦で参加していただいています。2012年(平成24年)の長崎県大会で3位入賞を果たし、場内パレードまでできましたが、知事は「まだ置き忘れたものがあるでしょう」と話され、我々は頂点を目指し、更なる努力に邁進することにしました。そして次の2017年(平成29年)宮城県で開催された共進会で白鵬85-3が登場するのです。

白鵬85-3

宮城大会で白鵬85-3が肉質で1位、育成で4位、総合2位という成績を収めます。これは鳥取県畜産業の努力の賜物です。白鵬の母の父が白清85-3といい、85-3という名前がついています。肉質日本一を獲得し、知事は横綱白鵬にこの肉を差し入れ、白鵬という名前をこの牛に命名する許可を得ます。この時、横綱白鵬は「私は1985年3月生まれなので、白鵬85-3というのですね」と知事に話し、知事は「そうです!」ととっさに答えたことが逸話として残っています。2022年は、私を育ててくれた鹿児島県が開催地です。この次、鳥取県は頑張らないといけないと思っています。78歳の畜産農家も頑張ると言っています。ご期待ください。

writer : 「奥大山Life」編集長 斉藤俊幸